2022年04月29日

レガシーbios、廃止の方向。fedoraプロジェクト

近々、新規インストールがレガシーbiosではできなくなる、
ということのようです(uefiインストール一本化)。
すでにインストールしてある場合は、
サポートを当分の間はつづけるようです。

マルチブートとしてや仮想環境に入れているディストロを
数多く抱えています。その70から80パーセントは、
レガシーbisoでインストールしています。
そう遠くないうちに、使えなくなるということですね。

速度の遅いhddたちではありますが、いずれかなりの数、
ドライブが空くことになります。流れは、linux全体に
及ぶんでしょう。永遠のものはなし、ですね。

syslinuxとかliloも、いずれ消滅というこのようです。
じぶんが愛用してきたマルチブートマネージャーの
mbmも役目を終えるときが来るようです。

年寄りの感傷ですかね。時代を共にしたものが、
消えていくのは、たとえ、それが人でなくても、
さびしいですね。

元ネタ:
https://fedoraproject.org/wiki/Changes/DeprecateLegacyBIOS

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----以下は超余談

夫婦の合言葉。長生きすることが幸せとは限らない。
子供がいようが、いなかろうが、いて大事にされようが、
生きてきた時代が違うから、ツーカーで通じる
仲間は、長生きすればどんど少なくなるわけです。

テレビで感動して泣くなんて、ことは滅多にないですが、
ずいぶん以前、「大草原の小さな家」の一話に、
ローラのファミリーに迎えられた
ローラのお父さんのお父さん、つまり祖父が
家族として歓迎され、大事にされて生活するんだけど、
じぶんのいる場所ではない、といって、
ファミリーのもとを去っていく、という回がありました。
大粒の涙が溢れたのを覚えています。

金さん銀さんは、おそらく幸せそうに
させらていただけ、と思います。
周りには、両者にとっての、”あの”とっておきの
思い出話の通じる相手が、もう誰もいないんですから。
笑顔でいれば、周りは不幸ではない、と
思うでしょうけど。どれほどの善意をもってしても、
なんともならない寂しさはあると思います。
笑顔でいるのは、せめてもののできることだから。
姉妹二人がそろっていたことが長寿の大きな要因だった
とは思います、姉妹間では話せますからね。

先般、子供に、まあまあ高級な昼食をごちそうになりました。
思春期のころの思い出すと、これが同じ人間か、
と思う扱いを受けました。雨の中、帰りのクルマを降りるとき、
集合住宅の玄関軒先まで傘を差してくれ、
まるで社長の乗る社用車の運転手みたいでした。
大した雨じゃなく、いらない、と言っているのに。

昔、亡母(義理)の通院に付き添いで病院に行ったとき、
休憩所でお年寄り(女性)と話す機会がありました。
名の知れた企業に息子が勤めていることが自慢でありながら、
ちっとも来ないってことを嘆いていました。
墓に無事に入れてくれさえすれば、ヨシとすべき
じゃないのかな、と思ったことでした。

これから、じーじ、ばーばになりそうな人は、
覚えておいてください。若い夫婦のよい仲とその家族が
幸せになることだけ祈っていることです。
そうすれば、お釣りはいずれ来ます、
身体を張って育てた子であるなら。


posted by ブログ開設者 at 08:38| Comment(0) | linux | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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