archbangが、rc版になって、
ウェブブラウザがnetsurfに、また、なっています。
カーネルは、5.14.12-arch1-1。
netsurfにする意味は、容量を抑えて1GB未満にしたい
から以外、ないように想像します。
isoの極小化は、この手のエキスパートの
サガとして避けられない本能なんだろうと思います。
netsurfを使って何をしろ、というのでしょうか。
ふつうのウェブサイトですら適正表示できないことが
多いです。動画は当然、動きません。
と、ぶつくさモンクを言いながらも、
archbangとは、10年ほど付き合ってきました。
批判もあるdistrowatchのランキングですが、
100位以下になって、目移りしやすいユーザーから
見放される傾向に鑑みて、archbang初心者講座です。
liveで使えるようにするまで。仮想環境に於いて編。
起動してデスクトップが出たところから。
$ sudo nano /etc/pacman.d/mirrorlist
Japanのどこかのサーバー行頭の#を削除して保存、
repoサーバーを使えるようにする。
$ sudo pacman -Sy xorg-xrandr noto-fonts-cjk fcitx fcitx-mozc fcitx-configtool
$ nano ~/.config/openbox/autostart
一番上の行に以下を追記。
xrandr --output Virtual-1 --mode 1920x1080
以下を修正
(sleep 2 && feh --bg-fill ~/Backgrounds/estate.jpg) &
setxkbmap jp106 &
(sleep 4 && conky) &
ファイルの一番下に追記。
fcitx-autostart &
ログアウト → ログイン。
間違って、再起動しないこと。
下辺パネルにあるfcitxのアプレットを右クリック。
configureを選択。出た画面の左下角の「+」ボタンをクリック。
Only Show Current Languageの前の❏に入っているレ点を外す。
Keyboard Japaneseとmozcを下の窓で検索、選択。
firefoxは、インストールすればlive上でも使えます。
私の場合、モニターのサイズは、1920x1200です。
キーボードは、usです。
超初心者にarchbangは向かないのでしょうけど、
green氏、少しは愛想を振りまいても
バチは当たるまいに、と思います。揉み手をしろ、
とまでは言わないです。
エディタ(l3afpad)の入力位置を示すポインタが
出ないのが気になる方は、sudo pacman -S で
gtk2をインストール。openboxのメニューより、
Applications → Preferences →
Customixz Look and Feel →
Widgetタブで、AB-Summer-Estateを
Raleighに変更。
最終段階、投稿するまえに、仮想環境ramが4096MBでは、
フリーズしました。メモリに余裕があるなら、
8GBぐらいとか、割いたほうがいいのかも。
以上、archbang-rc-1510-x86_64.isoのlive上で
最後の仕上げ以外の作業を行いました。
投稿内容をサーバー保存していなかったですが、
ブログサーバー側の「編集の途中のものがあります」の機能が
働いて、記事のdisappearnceについては、事無きを得ました。
投稿の都合で、
firefoxに、xfce4-screenshooterとgimpも
live(仮想割当てram)上にインストールしています。
システムをshutdownすれば、すべてがdisappear!です。
----以下は、人により不快な内容が含まれます。
番組始めのタイトルバックに火の付いた導火線…。
まだモノクロテレビの時代だったと思います。
「スパイ大作戦」というドラマを日本で
(アメリカドラマだろうと思いますが、)やっていました。
「なお、この司令は、再生が終わったと同時に消失する」
みたいなお決まりのセリフが、、、。カセットテープって
まだなかった時代だったと思います。
で、はい。洗脳世界のまっただなかに育った身の不幸を
振り払うべく、残された人生、がんばります。
われらに育てられた次世代も、影響が残ります。
物事を構造的に診るクセがあれば、
五Y7騒動に仕組まれている仕掛けとか、
気づくはずなんですけど、
洗脳がまだ解けきれていないみたいです。
ディズニーランドに子供を連れていっては、
親も嬉々としていますし、雪アナ歌って、幸せそう。
小野田少尉がルパング島からの帰還後絶望して、
ブラジルに渡った気持ちが、いまはよく理解できます。
ものの見事に、考えさせない政策が
生来の日本人の従順さにハマっていました。
戦争に負けるとは、こういうこと。
と言ってしまえば、それまでですが。
2008年6月14日の宮城の地震で山肌に崖崩れが起き、
巨人の人骨が現れたのですが、えぬHケーという放送局の
(間違っても細工のしようのない)ヘリからの
第一報にしっかり映っていました。
のちの、繰り返されるニュース等での映像には
その巨人の骨は消えていた、ということです。
被災のあとだから、時を置くにしても、
スクープのはずでしょ?
なかったことにしたんです。
政府も、学会も、放送局ほか新聞も!
なぜ、なぜ、、、?
人類は、好奇心の塊のはずなのに!!!
各国の政府レベルに不都合はないと
観られることから、それより上の権力から司令が出た、
と理解するのが洗脳の解けた人間の
ふつうの感覚です。
地球の歴史に巨人がいたら不都合でもあるのか。
あっち向いてホイ!をすれば、
易々とあっちを向いてしまがちな
市井の民。われわれが、知らなくていいとされる
真相は多いのだと思います。
ものごとを観て、ああ、そうなんだ、
で済ますんでは、もはやいけないと思います。
ドラマだけじゃなく、ドキュメンタリー番組や
討論番組を観ても、そう思わせたいんだな、
いわば岡目八目的視点は、断じて必要です。
決められた秒数で、言え、と含まされていることを、
したり顔の表情を作りすらすらとまとめて云う
コメンテーターの如きは、万しに値する
存在といっても過言ではないでしょう。
カネのためには、なんでも担ぐ、、、。
人類の歴史とは、コンロの火であぶられる
ポップコーンのが如くなり。
炙っている存在がじつは居る、と考えると、
いろんなことの辻褄が合ってきます。
倉山満氏とか上念司氏(こっちは転向するかな)とか、
彼らに絶望の時代が来ないか、心配です。
西部邁氏は、虚構の上に邁進してきただけの
じぶんに気づいたんだろうと思います。
人類はいま、じぶんたちを取り戻す
途に就いたばかり。
2021年10月16日
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