最近、視力の低下、集中力の低下が著しく、
本というものが読めなくなりつつあります。
「UNIXという考え方」がネット上で評判が良く
書店で1、2メージ読んで、同じく良さげに思えたので、
公共の図書館にリクエストし、着いた(購入してくれた)、
の知らせが来て、借りました。
税込み1,760円 A5サイズ ソフトカバー 厚さ1cm 144ページ
別に索引あり。ページの紙質は、学校の図画の時間の画用紙みたいな。
本の外観は、ネットで検索。
書いてあることは、自分が感じてきたことより、
かなり打算的で、いくらかがっかりするところもありました。
云われてみると、そうかもしれないな、と思いました。
読んでいてよく出てくる言葉に、
「部分の総和は、全体よりも大きい」がありました。
意味がよくわからない言葉でした。
ひとつのプログラムをできるだけ小さくして、
1つの機能だけ受け持たせ、それをパイプなどで
つないだほうが、ひとつの大きなプログラムを作るより
ハードウェア、アーキテクチャー等、
将来の変化に対して強い、みたな意味らしいです。
それから、他人のつくったプログラムをわざわざ
自作しようとせず、積極的に借用して、足りない部分だけ、
付加すればいい、とかの言葉もありました。
オリジナル、独創=いのちな考え方に陥りがちな
私には、違和感がありました。0と1のコンピューターの
世界では、そういうものかもしれぬ、と思いました。
同書が出版されたのが2001年で、Wndowsでいえば、
NTがもてはやされていたころのようです。
話としては、20年以上も昔の話です。
unixが土台であるlinuxをなぜ私が好むかについて、
豪華客船に乗りたいか、カヌーで川下りしたいか、
の違いみたいことをいつも云ってきましたが、
似たことが書いてありました。
unixは、ユーザーを乗り物の運転手に
しようとする。乗客にしようとせず。
pcを使う人自身を進歩させようとすることが
前提になっているようです。拠って、過剰な
エラーメッセージは出ないとも、、、
エラーメッセージを出させるとパイプしたときに
次のコマンドが誤動作するとも、、、
パーティションをフォーマットする
mkfsコマンドなどでは、「あなたは何をしようとしているか
理解していますか」みたいな、ある意味冷たい表示が出るとも、、、
書いてありました。
そのような意味において、osをコマンドで扱わせようとする
archlinux本家は、精神を受け継いでるように思いました。
MS-DOS系のosとは、まったく別物、ということですね。
linuxディストリビューションの中には、扱いをどう
易しくするかに腐心するものが増えていますけど、
unix、linuxの本来的な姿勢ではない、ということは云えるでしょう。
私がはっきりわかったことは、unixコマンドを
ちゃんと覚えないと、linuxを縦横無尽に扱うことはできない。
あと、unixコマンドを組み合わせて使う
シェルスクリプトの重要性もまた理解できました。
組み合わせを上手にできれば、相当なことが
できるようですね。
awkとかsedとか目の端っこで観ることはあっても、
普段のlinux管理には使わなくて済むコマンドが
ずいぶんあります。覚えるのは大変ですが、
一個一個つぶしていこうと思います。
posted by ブログ開設者 at 17:00|
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