フリーズが頻発して、その都度、物理リブートをしていたら、

上の表示は、じぶんにはさっぱり判らず、
直せません。
やっていたことは、centosの愛想なしさを
カバーしようと、repoを追加したりして、
でも、ろくに入れたいものを入れられず、で、
snapから、kpatとgraveをインストールしました。
kpatの日本語化はできなかったですが、
両方とも無事に動いていました。
だいぶそれなりになってきたところで、
gnme shellのテーマを追加しようとしていて、
またフリーズかよ、ってことで、
物理的リブートをしましたら、
ホストのsparkyと、仮想環境の
vmplayerは起動したものの、
centosは、ご覧のところで止まって
お手上げです。
almalinuxも、rokylinuxも、
redhat系のバージョン8系は、ほとんど
同じで、centoosを残して、あとは
お引取り頂いていたので、その系は、
ナシになりました。ふーっ (- 。-)\
snapのシステムへの影響は、
考えられませんか?
これを入れれば、システム内に異質なものを
抱えることになりますね。
インディペンデンシーであるということは、
システム側から観たら、よそ者って
ことで、cetosがへそを曲げたとか、
ありませんか。計算外のram上の衝突とか、、、。
それとも、braveに瞬発的
ram大食いのクセがあるとか。ない?
きのう辺り、vmplayer上で出ていた、
dinit版artixのホスト&ゲストいっしょの
フリーズともいささか被ってくる
雰囲気を感じています。
centos-8でも、ramを8GBに上げてみましたが、
centosでは、フリーズは止まりませんでした。
ディストリビューションを壊してしまったのは、
ずいぶん久しぶりです。
こんにち的には、「久しぶりになります」と言わねば
ならないんでしたっけ?
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話は逸れますが、この言い回し、ファミレスでのお皿出しから
始まったらしいですね。「こちら、和風ハンバーグに
なります」とか言って、テーブルに出したのが起源らしいです。
なぜまたたく間にこの誤用が広がっていったのか
については、よくわかりませんが、
です、より丁寧に言っているように客が受け取る、というような
これまた誤解が始まりじゃないかと。
言葉は生き物ですから、もう国語辞典に
載っているのかも。「本来、誤用であるが、
20XX年ごろから、広く使われるようになった」
ぐらいの注釈は付けてほしいですね。
きのうだと思いますが、入院なさった武田邦彦さんの言葉で、
ときどき、渦中を"うずちゅう"と発音なさるのですが、
そういう読み方があるとは、知りませんでした。
家中などと間違って取られないようにするため、
わざわざそう言って
おられるのかもしれませんけど。
若い頃、じぶんは、この熟語を禍中って書くと思っていました。
いまでもこのほうがピンと来ます。
じぶんが漱石がごとく権威者であったなら、
平気で使って啓蒙しちゃうんですけど。私が書けば、
わざとそう書いているとは、誰も思ってくれないですね。