2020年08月26日

欠点とまでは言えませんが。252B9/11

これまで使ってきた2209WA(dell モニタ)と比べると、
ノングレアとは言えず、半グレアぐらいですね。
割りと反射します。キーボードが写り込むのが気になって
モニタから少し離して使ったりしています。

下半分に表示されるものが、黒くなければ
気にならないですが、ほんとに真っ黒なものが
広く表示されたりすると、少し気になります。
眼と画面の角度は、直角よりも少し上に向けて
写り込みを防ぐようにしてきます。

サンドペーパーに例えれば、2209WAとは、
2段階ぐらい違う感じ。
仕上げ用ペーバーのような細かさ。

グレアなモニタを使う人からすれば、
まったく問題にならない世界でしょうけども。


posted by ブログ開設者 at 22:56| Comment(0) | linux | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

曇りのち雨、そののち、、。linuxmint17 → 17.3 →↓ 18ならず、20をインストール。

巡回更新で、linuxmintのグレードアップに失敗しました。
長く無更新のlinuxmint17がありまして、調べてみると、
中身は、ubuntu14.04ltsがベースのようです。

これを18にすべく、取り組みました。
18にするには、17の最終バージョンの
17.3になっていないと、いけない、そうで、
更新を行いました。問題なく短時間のうちにできました。

で、続いて18に、ということで、
専用のアップグレーダーを活用し、
mintupgradeコマンドの後ろに、
checkとか、downloadとか、upgradeとかを付けて、
順調に更新作業を進めることができた、はずでした。

ところがです。システムを再起動してみると、
コンソール画面に、(initramufs)が出てしまいまして、
helpを入力すると、いろいろコマンドが使えるぞの表示が
出るのですが、exitコマンドで出るfailedな表示が、
理解のほかでした。
mint_crash.jpg

対応できなくて(直せなくて)数時間後には降参。

ひとつには、、、、
ubuntuのカーネルは、当時、まだpt2だかpt3だかの
dvbにデフォルト対応していませんでした。
カーネル側には、モジュールの用意はありましたが、
オプションとして、onになっていなかった。そこで、

3.18.7-xxxxxxxxxxx-genericという
pt2だかpt3だかのモジュールが使えると噂のubuntu用カーネルを
ネット上から調達し、インストールしていた、
ということがありました。アップグレードに
失敗し、あれこれシステム内部を調査して、
ああそうだった、と初めて思い出しました。
それも18へのアップグレード失敗の
原因のひとつではなかったか、と。

アップグレード時、表示される英語を読みもせず、
とにかく「保持する」を選んでしまうことの、
弊害ですね。17の居残りカーネルが、
その部外者カーネルになり、
mint18用のカーネルは、ひとつも入りませんでした。
これがちょっと不思議なんですけど。

結果、カーネルの周囲は新参者だらけになり、カーネル自体は、
はだかの王様、かつ、おいぼれの状態。ふつうならマウントできる
ところがマウントかなわず、とかが起こったんじゃないかな、
と思ったりしています。arch-chrootをして、
あとから正規カーネルをインストールしましたけど、
状況は変わりませんでした。

いまの能力では万策尽きた、と自己判定し、どうせなら、
最新版にしちゃえ、ってことで、マルチブートの
当該地を即刻跡地利用しました。

linuxmint-20-xfce-64bit (コードネーム:ulyana)。

linuxmint20_2020-08-26_19-40-39.jpg

インストールしての印象は、相変わらずの"行き届き者"
ってことでは変わないです。インストール時に、
locale設定するだけで、環境の日本語化だけでなく、
fcitx-mozcが使えるようになってしましますしね。楽ちん。

顔つきは、以前のグレーベースのときのほうが、
高級感+らしさはあったと思います。飽きはありましたけど。
最近、debianベースのLMDEをインストールしたとき、
mintにしては何かが欠けていると
思ったことでしたが、本バージョンのubuntuベースでも、
何も変わりませんでした。調味料の何か一つが
足りていない感じです。味にコクがない?

linuxmintをじぶん的に表現すると、
「馴れない茶室の席に呼ばれた感」といいますか、
お手前ぐちゃぐちゃで周囲のオバ様方にくすくす笑われそう、
というか、それ以前に、にじり口でにじりきれず、
アタマをぶつけそうな世界というか、、、。

作法を間違うと、このように厳罰を受ける
強烈な美意識が、ある意味、欠点である! と断じたいです。

こんなことを強調しても、誰にも相手にしてもらえない。
放屁してとっとと眠るしか救われる道はない、みたいな。

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仕事で付き合いのあった人なんですが、強烈な美意識をもつ人が
2人ほど、私の人生を横切っていきました。
つきあいがなくなって、だいぶ時が経ち、
遠い噂として耳に入ってきたのは、親の介護で
苦労していられる、ってことでした。おっ、やっと
人間になったか、って、思ったことでした。
人生の最初から最後まで美ヶ原で、
済むわけはないよ、と納得したことでした。

もうひとりは、美とは、一杯のかけそばだ、
と言ってはばからない私に向かい、
子供には、幼い頃からほんものに接させないと、
感覚に養分は与えられない、と譲らない人がいました。
つまり、絶対性があるという主張。
いまはどのように暮らしていられるでしょうか。

この30年余り私の考えが変わっていないのは、
この世、この宇宙は、相対空間以上のものではない、
ということです。宇宙に中心はなく、静止しているものなどない、
と思っています。だから、一杯のかけそばに
敵う高級料理なんてない。絶妙なる人生の節目の
一杯のかけそばにまさる美味さはない、
ということを常々思っています。あくまでもいままでのところです。

科学は、万民一致の真実という考え方もあるでしょう。
でもこれは、人類全体が見てしまっている妄想かもしれぬ、と
そうとう疑っています。人類の認識過程を人類の認識過程で
研究しても、答えは出ないはず。だって、人間の
認識過程にすがって考えているに過ぎぬことだから。
人類の最後の一人が消滅したら、宇宙も消滅する
としたら、私として勝利です。
宇宙人は、もう居るってことになっています。
人類の願望が強くてそうなったんでしょう。
来年、アメリカ政府からわーっと情報が開示される
ようになる法律が議会を通過したそうですね。

じつは出会った美意識強烈者に
3人目がいまして、私の近親者なのですが、
先般亡くなりました。わたしの十倍ぐらいは
落差のありそうな人生を過ごしました。良かったころ、
「美味いものは、いつ食っても、美味い!」と
その子も含め、言い張っていた美食家。
あの世のよいところに行けているといいな、と
日々祈っています。人生に絶対性を求めたくなる
生まれの背景はありましたから。

linuxとは関係のない、余談。失礼しました。

↓  ↓  ↓  ↓
じぶんもつくづくテキトー人間だなあ、って。

壁紙を変えたら、ずいぶん気分が変わりました。
mint_change_wallpaper_2020-08-26_23-02-25.jpg

フラット表現流行の影響もあるかもしれません。

西洋文化は、3Dじゃないのかい?
アイルランドって、ケルトの世界観?
アングロサクソンとは、違うのかな。

日本語フォントが、fonts-droid-fallbackだった
ので、fonts-takaoに変更しました。
droidフォントのなぜいやかについては、
写真の写の字と、反対の反の字を
打って参照してください。


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