端的に云えば、フォーラムに広がりがないから、
ということが言えると思います。
前にクソを付けていいほどの丁寧な案内、説明があって、
それが邪魔をしているようにも見えます。
日本語の担当者は、猛省してほしいですね。
英語訳しているだけかもしれないけど、、、。
丁寧に説明することと、人が判る(解る)ってことは、
往々にして一致しません。
完全に血肉にして、消化して、じぶん発で発信したら、
もっとファンが増えるんではないですかね。
じぶんがarchに惹かれるわけのひとつは、
ユーザーコミュニケーションが盛んなことです。
百のありがたい説教より、瞬間的にピンとくる
ヒントが重要だったりします。
もっとも、コミュニケーションが盛んでも、
ubuntuの日本人ユーザー間の礼儀を
わきまえすぎのやりとりもあくびが出ますけど。
コマンドしかつかっちゃいけない
会話のサイトがあれば、私は入り浸るでしょう。
ま、極端な話ですけど。だからって、
なんらかの言語でプログラムを書かれても
一向に解せないわたしですが。
それほどに遠回りしないで、
ダイレクトにじぶんの知りたい情報に
せっかちにたどり着きたい、というのが本音。
じぶんが理解できるのは、あとでいい、
やり方を先に知りたい、という感じです。
なぜ世界的に人気があるのに、
日本で人気がないのか、それもかなり極端に。
opensuseの現実にスポットを当ててみました。
2017年06月13日
実験をしてみました(→訂正あり)。kernel panicの件/archbang-i686
archlinux本家系-i686特有の現象として、glibc-2.25-2(3)に
グレードアップすると、kernel panicを来すの件のつづきです。
glibcパッケージを、glibc-2.25-3に上げて、
/usr/lib/libc-2.25.soのみを、glibc-2.25-1の
ファイルに入れ替えてみました。
再起動後、期待通りだまされてくれて、
glibc-2.25-3としてシステムは起動しました。
ここから訂正部分:
mkinitcpioをするのを忘れていました。
したら、やっぱり起動しなくなりました。
つまり、/usr/lib/libc-2.25.soだけの問題ではない
ということになりますね。
i686-arch-userさんがおっしゃっていたとおり、
libc-2.25.so(そのリンク:libc.so.6)だけの
問題で事が起こっているようです。
ソースを2つ並べて違いを見つけたら、
原因の真実がわかるんでしょうね。
なお、上記操作は、一発でシステムが起動しなくなる
危険性のあることですので、archlinuxといえば、
それ一台のみみたいな初心者の方は、
けっしてトライしないでください。

それにしても、なんでx86_64版、つまりアーキテクチュアが
違えば大丈夫なのかが、ぜーんぜんわからないです。
グレードアップすると、kernel panicを来すの件のつづきです。
glibcパッケージを、glibc-2.25-3に上げて、
/usr/lib/libc-2.25.soのみを、glibc-2.25-1の
ファイルに入れ替えてみました。
再起動後、期待通りだまされてくれて、
glibc-2.25-3としてシステムは起動しました。
ここから訂正部分:
mkinitcpioをするのを忘れていました。
したら、やっぱり起動しなくなりました。
つまり、/usr/lib/libc-2.25.soだけの問題ではない
ということになりますね。
libc-2.25.so(そのリンク:libc.so.6)だけの
問題で事が起こっているようです。
ソースを2つ並べて違いを見つけたら、
原因の真実がわかるんでしょうね。
なお、上記操作は、一発でシステムが起動しなくなる
危険性のあることですので、archlinuxといえば、
それ一台のみみたいな初心者の方は、
けっしてトライしないでください。

それにしても、なんでx86_64版、つまりアーキテクチュアが
違えば大丈夫なのかが、ぜーんぜんわからないです。